2021.6.6 宣教「安息の主」
2021年05月31日 16:17
聖書 ルカによる福音書6章1-11節
今日のテキストの二つの物語は共に安息日についての話です。一つはイエス・キリストが安息の主であるということ。もう一つは安息日に良いことをするのと悪いことをするのと、どちらが良いかということです。キリスト教会は日曜日に礼拝するようになりました。主イエスの復活された日だからです。安息日は創世記1章、2章に記されている神の休息から来ています。父なる神が6日間、天地創造の働きを終えられた。人間も創造されました。その時に神は世界を祝福されたと書いています。安息とは神の祝福と共に休むということです。旧約聖書には安息日の細かい規定があります。今朝のテキストには、その安息日に弟子たちが歩いて麦畑の中を通っている間に穂をつまんだことが記されています。また別の安息日に、主イエスが会堂に入って説教をしておられたとき、そこに右手をの萎えた人がいた。それを主イエスが癒された。このことも安息日の規定に反しました。律法学者たちやファリサイ派の人々は主イエスを訴える口実を見つけようとしていたのです。主イエスはこの安息日において、人間の罪が最も具体的に現れていると感じられました。聖なる日を神のものとして守るために細かい規定が定められたのですが、その信仰熱心の中に、人間の罪を見ておられました。神の祝福が見失われ、人間が見捨てられることは神が望まれることではありません。安息日が、本当の安息になるのは、そこに神が共におられるからです。