2019.11.17 宣教「審きと愛」
2019年11月12日 21:07
聖書 マタイによる福音書21章12-17節
十字架につけられる直前、イエスは厳しい決意をもって、ろばに乗ってエルサレムにお入りになりました。そして、そのまま神殿に直行なさったのです。12-13節「それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いをしていた人々を皆追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けを倒された。そして言われた。「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。ところが、あなたたちは、それを強盗の巣にしている』」と。大混乱が生じたことと思います。主イエスには怒りがありました。この神殿に群がる人々に向かって、「あなたたちは、それを強盗の巣にしている」と言われたのです。しかし、主イエスは14節では「境内では目の見えない人や足の不自由な人たちがそばに寄って来たのこれらの人々をいやされた。」とあります。私たちは、どうでしょうか。神をたたえると言いながら自分の欲が出ている、主イエスに強盗の巣だと呼ばれた人々と違うと言えるでしょうか。私たちの心に、主イエスに喜んでいただくような真実な祈りがあるでしょうか。