
2017.8.6 宣教「平和の祈り」
聖書 マタイによる福音書6章5-8節
今朝のテキストの重要なところは、6節「だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」と、祈りも隠してするようにと言っています。祈りをするのは「あなた」一人のことです。
信仰生活について大切なことは、神の目にのみ明らかな生活をしなさい、ということです。信仰生活には多くの誘惑があります。その誘惑は外からの誘惑もありますが、むしろ自分の中から起こる誘惑があります。それは自分を高く評価されたい、自分をよく見せようとする誘惑です。それが会堂の中においてさえ問題になります。会堂は神のことを語り、考えるところですが、そこに誘惑が一番多く働くからです。人が集まる所に、人に見られる、人に見せるという誘惑が働きます。繰り返しますが、祈りをするのは「あなた」一人のことです。神の前に立つのは、あなた一人で立たねばなりません。だから全く外と離れてしまうところ、「隠れたところにおられる父」とあるように、神は隠れたところにおいでになります。
そこで祈りとは、神がまず私どもに語りかけてくださる。これに対して、私たちが応答していくことです。神に対して祈る根拠は、神が私たちの祈ることを聞いてくださるということです。私たちの祈りは、空を打つようなことではありません。
今日は平和聖日です。私たちは真の平和、神との平和をもとにして、世界の平和を願っています。パウロはコロサイの信徒への手紙3章15節で「キリストの平和で心を満たし、それに従って生活をしなさい」と述べています。キリストの平和とは、キリストの十字架の死をわたしの罪のためであると信じることによって与えられる「神との平和」です。このキリストの平和で心で満たし、それに従って生きるものとなりたいと思います。