2017.1.1 宣教「平和の福音」

2016年12月28日 14:31

聖書 フィリピの信徒への手紙1章1-11節

 <中心聖句>

 1章2節

「わたしたちの父である神と主イエス・キリストから

          恵みと平和が、あなたがたにあるように。」

 

 2017年を迎えまして、新年を心からお喜び申し上げます。

 水元教会が新しい年を迎え、一人一人が教会の中で今、ここにある喜びを共にして生きたいと思うのです。 新年礼拝の説教題を「平和の福音」といたしました。

 パウロは、ローマの獄中の孤独の中で、どんなにか恵みと平和を祈った事でしょう。パウロにとって神の恵みは食べることでもなく、神の平和は優遇されることでもありませんでした。それは信仰による祈りのできることであり、神がお与えて下さる恵みと平安だけでした。ですから、パウロは1章2節で「わたしたちの父である神と主イエス・キリストかrなお恵みと平和が、あながたにあるように」と記しています。まず祈ることは、恵みでありますように、ということでした。

 神の恵みによって与えられた恵みこそ、人間が罪の中で生きることが出来る理由なのです。心が安定した時、どんなことが起こっても揺らぐことのないようになった時に、平安があります。神との平和な関係において生きる時に、平安な心になるのです。人間は、誰でもこの世の嵐を避けようとしてもそれは無理です。この自然の中で、何の動揺もないはずがありません。大切なことは、どんなことが起こっても、平和を守ることのできる神の平安を持つことです。

神の平安とは、パウロはローマ書5章1節で「わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ている」と記しています。神との平和の状態にあると記しているのです。神に背くことは簡単にできます。罪を犯すことです。罪は神に対しても、人間に対しても犯します。その罪を本当に赦すことが出来るのは神だけです。神に対して罪を犯す人間は、神に罪を告白して悔い改めていくことによって、キリストの十字架によってされるのです。神に対して罪びとであった者が、罪を赦されて、神に対して平和を得ることになるのです。

そのように神に対して平和を得た時、人間は、はじめて平和をえることが出来るのです

 

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