2022.10.2 宣教「幼児とキリスト」
聖書 ルカによる福音書18章15‐17節
水元教会は1994年10月2日の日曜日から西水元二丁目の斎藤宏牧師の自宅を開放されて伝道を開始しました。その10年後、現在のこの水元二丁目に移転して、2005年3月27日のイースター礼拝が行われました。28年の教会の歴史を支え、守られた神の恵みに感謝いたします。
今朝はルカ福音書18章15節から17節を学びます。15節に「イエスに触れていただくために、人々は乳飲み子までも連れて来た。」のですが、ところが「弟子たちは、これを見て叱った。」とあります。弟子たちにとって、主イエスの話はファリサイ派の人々さえも打ち負かすほど難しく気高い話であり、このようなところに幼子や乳飲み子を連れて来ても理解できるはずはないと言いたかったのかも知れません。しかし、主イエスは、16節では乳飲み子たちを呼び寄せて「神の国はこのような者たちのものである」と言われました。子供のようにという言葉と乳飲み子たちとは異なりますが、神の国は「このような者たちのものである。」と言われました。では、なぜ人々はイエスのところに乳飲み子を連れて来たのでしょうか。それは15節「イエスに触れていただくため」とありますように、主イエスに「さわっていただくため」であり「祝福を受ける」ためでした。主イエスは、16節で「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである」と言われました。幼子のようにならなくてはならないと言われたのです。17節「はっきり言っておく、子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」主イエスが求めておられるのは、子供のように、素直に、無条件に、主イエスの愛をすっと受け入れる幼子のようになることです。