2018.4.1 宣教「復活の恐れと喜び」

2018年03月27日 06:05

聖書 マタイによる福音書28章1-10節

 主イエス・キリストが十字架につけられて死なれた後、それを取り囲む人たちにとっては、様々な反応があったことが福音書に記されています。弟子たちはガリラヤに帰り、ローマの兵隊はそこを立ち去りました。キリストを十字架にかけて殺した彼らには勝利感は何もありませんでした。キリストがエルサレム入城したときに、大きな声でホサナと言って喜んで迎えた群衆は、キリストの喪失でした。キリストの死は、確かに闇の中に引きずり込んでいきました。「わたしは三日目によみがえる」と言われたキリストの言葉が、新しい恐れとなって彼らの心を揺さぶりました。1節「さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った」。いつものように朝日はのぼりました。この朝にキリストの復活が起こりました。4つの福音書は、独自の立場からこれらの目撃証人を選び、それぞれの角度から復活の事実と意義を明らかにしています。マタイは「マグダラのマリアともう一人のマリア」がイエスと出会った(9節)。マタイはごく限られたものだけを記しています。その根拠は、6節「あの方は、ここにはおられない。かねて言われていた通り、復活なさったのだ」という言葉です。キリストご自身の預言の成就です。

 弟子たちは、このキリストの復活を信じていたとは見えません。キリストの復活は、予測も出来ないときに起こったことなのです。9節「すると、イエスが行く手に立って『おはよう』と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した」と記されています。イエスはガリラヤに行くようにと言われる。復活のイエスはガリラヤに行くのであり、弟子たちをガリラヤへ行かせるのです。イエスの復活宣教によって光を見たガリラヤは、再び復活のキリストから大いなる光を受けるのです。暗闇の夜が、夜明け前に立つ復活のキリストこそ、私たちの人生をその根底から支え導きくださる方であることを、信じていくことです。

 

 

 

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