2016.12.4 宣教「恵みの神」
聖書 詩編90編1-17節
今朝はアドベント第2週を迎えます。キリストがわたしのために、この世においでになったということを、心に静かに覚えながら、主の降誕を迎える準備の時としていきたいと思います。詩編90編は個人的な詩編ですが、人間の生きるということと死ぬということ、そこに関わりをもつ最も厳しい問題をこの詩編は記しています。
1節「主よ、あなたは代々にわたしたちの宿るところ」という言葉をもって、私どもが悩む時、その悩みを訴えていくことのできる方は、それは神が「主よ、あなたは代々にわたしたちの宿るところ」、あなたは私たちの住まいですと神との関わりの中に入っていくのです。2節「世よとこしえに」という永遠から、絶望の中から叫ぶ砕かれた魂が、神であるあなたとの寒けに入れられたときに見えて来た、「山々」「大地」「人の世」世界を創造される以前からいます神の永遠性について告白です。人間の命ははかないものです。7-12節までは私共の人生は短く、それは神の審判のもとにあります。4節に「千年といえども、御目には昨日とか今日へと移る夜の一瞬にすぎません」神の永遠に比べれば、それは一瞬に過ぎ去ります。永遠の神の前では、私どもは千年、万年と言っても、それは過ぎ去れば昨日のようなものだからです。人間の生きる中に、いつでも人間の死というものが関わってくるのです。その人間の将来というものは神が永遠者でおいにでになり、神が実在者としておいでになるという、神の内にだけ、私どもは見出していくことができるのです。その神の前に立つ人間という者は全くはかないということです。それは6節「朝にもえでて栄えるが、夕べにはしおれて枯れる」ということです。この詩人は人間が歩んでいきた道を振り返ってみると、この道を歩んできて良かったのか、人生の総決算をするときに、何か自分の人生のはかなさを感じさせている言葉です、
最後の13-17節までは、人生はそのように神の怒りがあるけれども、神は愛の神であり、恵の神です。13節「主よ、帰って来てください。いつまで捨てて置かれるのですか。あなたの僕らを力づけてください」と述べています。さらに、14-17節の内容は、全く新しい光をもって私どもの前に、これまでになかった豊かな味わいの方へ導いてくれます。「わたしたちの手の働きを、わたしたちのために確かなものとしてください」この願いが2回繰り返されています。人間のはかなさを思い知らされ、神の怒りの前に、自分の罪におののく人間が、いかに「わたしたちの手の働きを、わたしたちのために確かなものとしてください」と言えるのでしょうか。この「わたしたちの手の働き」とは日常の働きを意味しています。日常の働きを祝福してくださいの意味です。わたしどもの行動を通して、神の栄光を表すものとして、わたしたちを用いてくださいという、この高められた讃美と感謝をもって、この90編は締めくくられています。