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2017.1.15 宣教「悔い改めの実」
聖書 マタイによる福音書3章1-12節
<中心聖句>
3:11
「悔い改めにふさわしい実を結べ。」
主イエスが地上でどのような生活をされたかをたどっていく時に、この主イエスの歩みの道備えをした人がいました。
その人は洗礼者ヨハネと呼ばれる人です。この洗礼者ヨハネは、主イエスの生涯、伝道にとって意味は大きいものがあります。このマタイによると2節に「悔い改めよ。天の国は近づいた」と記されています。これはヨハネの言葉です。ヨハネが捕らえられて、地上の活動をすることが出来なくなってしまったとき、初めてイエスが登場されて語られた言葉は、ヨハネが語ったのと同じ「悔い改めよ、天の国は近づいた」という言葉でした。
洗礼者ヨハネの洗礼運動は、ユダヤの人々の中で起こりました。5節に「そこで、エルサレムとユダヤ全土から、また、ヨルダン川沿いの地方一帯から、人々がヨハネのもとに来た」と書いてあります。そして6節「罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた」と記されています。ヨハネ自身も11節「わたしは悔い改めに導くために、あなたたちに水でバプテスマを授けている」と言っています。このバプテスマには、生まれながら自分たちは神の民だと思っているが、むしろ神の民であるがゆえに罪を犯していることに気づき、それを悔い改めなければいけないということをヨハネは言っています。
7節を読みますと「ファリサイ派やサドカイ派の人々が大勢、洗礼を受けに来た」と記されています。彼らはユダヤ人の中でも信仰の熱心な人たちです。続いて7節「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか」と言いました。彼らは洗礼を受けたなら、神の怒りを免れると思ったのかもしれません。「蝮の子」とは蝮とは毒蛇で、罪の象徴です。罪の子どもとして生きているあなたがたよ、どうしてあなたがたは、わたしのところへ来て洗礼を受ければ、神の怒りが免れると信じるのか。だれが教えたのか。ヨハネはそう問い返しています。
11節「わたしは、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしはその履物をお脱がせする値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちにバプテスマをお授けになる」ということが記されています。イエス・キリストが聖霊と火とによってバプテスマをほどこすというのは、12節にある「そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる」ということが書かれています。神の前に役立たずの者は焼いてしまうことが、それが火のバプテスマです。誰も神の前に、この神の裁きに正しく立ちえません。「だから悔い改めにふさわしい実を結ぶ」ことだと言うのです。
「悔い改めにふさわしい実を結ぶ」とは神を信じて、イエス・キリストを信じることです。それ以外にありません。悔い改めとは根本のところで、全存在の方向が変わることです。そして神の恵みの中に、全く向きを変えて生きるということです。悔い改めにふさわしい実をみのらすためには、私どもが真実に悔い改めをする以外に道がありません。