2020.8.9 宣教「愛の偽装」
2020年08月06日 06:04
聖書 マタイによる福音書26章47-56節
52節でイエスが「剣を取る者は皆、剣で滅びる」と言われた言葉は、剣をもって戦う者は、その剣によって、ある場合には勝つかもしれないが、結局は滅びる。だから国が軍備をもってはならないのだというように一般的に解釈されていると考えられています。イエスの言葉を、そのまま軍備に結びつけることは出来ませんが、剣や棒を持って大勢の群衆が力ずくでイエスを捕えようと争っている中で、主イエスご自身が剣を捨てておられるということに私たちは目を注いでいかなければならないと思います。主イエスご自身がご自分の道を全うするためには、剣を捨てておられるのだということです。主イエスが剣と棒を捨てて捕らえられる道を、殺される道を、それをお選びになったということは、私どもは圧倒される事実です。そして、このイエスが捕らえられるとき、ユダがイエスに接吻をしている。接吻は愛の表現です。しかし、ユダの接吻は偽りの愛で、ユダはイエスを裏切ったのでした。イエスはユダに50節「友よ、しょうとしていることをするがよい」と言われました。主イエスは裏切るユダに「友よ」と言われたのです。主の御心を強調していることばです。私たちに対する主イエスの愛とはそういうものなのです。