2019.4.14 宣教「愛の十字架」
2019年04月09日 17:03
聖書 ルカによる福音書23章32-43節
キリストが亡くなられたエルサレムのカルバリの丘には、三つの十字架が立てられました。真ん中にキリストが掛けられ、両側には二人の犯罪人がかけられていたのです。一人の犯罪人は、39節「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ」とののしり続けました。もう一人の犯罪人には、一つの変化が現れて来ました。「お前は神をも恐れないのか。同じ刑罰を受けているのに、我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない」と言いました。これは一体どういうことでしょうか?34節の「父よ、彼らをお許しください。自分が何をしているのか知らないのです」と言うキリストの執り成しの祈りを聞いた時、彼は大きな衝撃を受けたに違いありません。長い生涯を人を憎み、心に怒りと殺意に満ちて生きてきたこの男は、そのとき、人間の醜さのかけらも持っていないキリストの存在に出会い、新しい目を持って今までの自分の人生を見るようになったのではないでしょうか。キリストの生涯は愛の生涯です。具体的には赦しの生涯です。キリストをはさんだ両側の二人の姿は、キリストに対する左右に立つ者としての態度を露わにしています。ある人は今も「神を恐れないのか」と問われる生涯を繰り返しています。しかし、ある人はキリストに一切をゆだねて、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と祈るものとなるのです。