
2017.7.16 宣教「愛の祈り」
2017年07月15日 18:40
聖書 マタイによる福音書5章43-48節
イエスは敵を愛するたけでなく、自分を迫害する敵のために祈れと言われました。愛することも決してやさしいことでありませんが、敵のために祈るということは、簡単なことではありません。私たちは「敵を愛する」ことは、実際には、そのようには生きられないと結論づけてしまいます。そうすると、「愛の生活」には何の変化も起こさず、私たちは、この聖句を読み過ごしてしまいます。
なぜ「敵を愛する」ことをしなければならないのでしょうか?45節には「天にいますあなたがたの父の子となるためである」と書いています。敵を愛するということは、「天にいます父なる神の子となるためである」ということになります。神との関係を考えなければ、愛ということはありえないのです。
天の父の子となる生活がなければ、隣人をさえ愛する根拠がなくなります。神から愛されることによって、人間は愛を知り、人を愛することができます。神から与えられたことを知っているものは、与えることができるのです。また45節の後半に「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせて下さる」すべての人間は神の支配のもとに置かれています。雨と太陽から神の愛を知るのではなくて、神の愛から神の恵みを知るのです。キリストに赦されたものとして生きていきなさいと言われているのです。