2020.3.8 宣教「救い主とは誰か。」
2020年03月04日 18:48
聖書 マタイによる福音書22章41-46節
イエスは「あなたたちはメシアのことをどう思うか。誰の子だろうか」そういう問いをされました。「ダビデの子」とはいったい何を意味するのでしょうか。あなたが思い描くダビデの子、メシアと同じ救い主であるのか。45節で「このようにダビデがメシアを主と呼んでいるのであれば、どうしてメシアがダビデの子なのか」。あるいは21章にエルサレム入城の場面を描いた時に、この主イエスを迎えた人々が、「ダビデの子に、ホサナ」そう歌ったということを肯定的に書いています。ダビデの子よ、私どもを救いたまえとイエスを迎えました。ダビデの子孫の中にメシアが生まれることを期待しているユダヤ人のために、このことが記されたと思います。「ダビデの子、ダビデの子」と重ねて書いて来たマタイが、ここでイエスご自身の「キリストはどうしてダビデの子だろうか」という疑問の言葉。この意味は、イエスは人間の形をとって、神そのものとして、このダビデの子孫としてお生まれになってくださった旧約の預言を確認し、神がイエスの内に神としての性質と人としての性質をもつ者として、このダビデの家系の中に入り込んできてくださって、このダビデの家そのものを救い取ってくださったということなのです。この説明は難しいものです。