2019.9.15 宣教「最も偉大なもの」

2019年09月10日 16:13

聖書 マタイによる福音書20章17-28節

17節から19節までに三回目の受難の予告が記されています。19節「異邦人に引き渡す。人の子を侮辱し、鞭打ち、十字架につけるためである」と。これまではただ「殺される」という表現でしたが、ここでは、十字架につけられ、神に呪われた罪人として殺されると言われました。「そして、彼は三日目によみがえる」と復活予告が続きます。この復活の預言を聞いたゼベダイの子の母が、20節「その時、ゼベダイの息子たちの母が、その二人の息子と一緒にイエスのところに来て、ひれ伏し、何かを願おうとした」のです。ゼベダイの子とはヤコブとヨハネの二人です。その母が、「何が望みか」と問われて正直に「王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人は左に座れとおっしゃってください」と言いました。すると主イエスは、22節で「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲もうとしている杯を飲むことが出来るのか」と言われました。28節「人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を捧げるために来たのと同じように」と。わたしが十字架にかかることは、多くの人の贖いとして自分の命を与えるのであると言われました。ヨハネは後に、ヨハネの手紙Ⅰの4章10節に「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」と明確に記しています。

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