
2018.2.4. 宣教「 狭き門から入れ」
2018年01月29日 12:54
聖書 マタイによる福音書7章13-14節
「命にいたる門」ということは、本当の自分を見出す門という意味です。多くの人は本当の自分を見出すために「命にいたる門」から入ろうとしているでしょうか?
広々とした門や道は誰にとってもその方が楽です。自分の好きなように自分の思い通りに自分の都合によってすることが、聖書では滅びの道を進んでいくというのです。自分の都合でとは自分が中心です。ですから、気が向けば歩くし気が向かないと休むという歩み方です。しかし、もう一つの道は、神に導かれるのですが、それは神に規制される生活でもあります。その神の規制とは、神の掟というのはでなく神の望みになることで、神が私たちの救いのために望まれることです。それは恵み深いものですが、それを形の上から言えば、狭いと感じるのです。
この門というのは、主イエスの御言葉です。キリストは「わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして、牧草を見つける」(ヨハネ10:9)。キリストが門であり、また道です。神がすべての人を救おうとしておられることには変わりはありません。イエスご自身が門である、この門を通ることなしに、だれも救いに入ることはありません。それゆえに主イエスはこの狭い門から入りなさいと命令なさるのです。私たちも主イエスのまこと門を信じて御言葉に従う者となって生きたいのです。