2020.9.13 宣教「真実を拒否する者」
2020年09月08日 17:55
聖書 マタイによる福音書27章11-26節
11節に「さて、イエスは総督の前に立たされた」とあります。このマタイの書き方は、人を支配する実力を持ち、正義によって裁くべき権力者のピラトが、全く無力であったということを、この裁判全体を通して明確に示しています。19節「一方、ピラトが裁判の席に着いていたときに」その裁判の発言権もない妻が使いをよこして「あの正しい人に関係しないでください。その人のことで、わたしは昨夜、夢でずいぶん苦しめられました。」と伝言しています。この総督ピラトには、自分よりもっと上にローマの皇帝という支配者がいました。だから群衆が騒ぎ立て、自分の支配下で混乱が起こることは、自分の責任にされると思い自己保身に走ったのでしょう。裁判の最後に死刑の判決を下したのは、22節「皆は、十字架につけろと言った」とあり、ピラトは群衆に強いられ、その権限を群衆に奪われています。イエスの最終的審判者であった総督ピラトという人物は、自分がしなければならないことを知りながら、いざという時には自分で何も決断できないのです。現代に生きる私たちと似ているかもしれません。ルカ福音書23章14節にはピラトが「訴えているような犯罪はこの男には何も見つからなかった。」とイエスの無罪を認めながらも、ピラトはイエスを見ようとしないのです。このような無知な群衆の弱さや、政治的な権力を持つピラトの弱さを、イエスは知り尽くしておられました。イエスは、この人たちの罪のために十字架につくため、そして「彼らをお許しください」と深い祈りのうちに、沈黙しておられたのです。