2017.3.26 宣教「真理に生きる喜び」
聖書 マタイによる福音書5章10-12節
<中心聖句>
5章10節
「義のために迫害される人々は、幸いである。
天の国はその人たちのものである。」
今日のテキストは義のために迫害される話です。平和を造る人には迫害がつきものだと言えます。聖書の中での「義」という言葉は、正義という意味もありますが、「恵み」とか「救い」という意味の言葉でもあるのです。
キリスト者にとっての「義」とは、信仰を抜き通した正義ではありません。信仰によって与えられる「義」であり、キリストを信じる信仰によって救われた者が、神から与えられた救いということです。祝福はすべて天の国から与えられるということです。
11節「わたしのために」とは「キリストのため」です。「のしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられる」と、あなたがたはそうではないかと言われます。その時、私たちは、どうしたらよいのでしょうか。どう考えたらよいのでしょうか。なぜ私たちは「ののしられる」のでしょうか。それが「わたしのために」です。キリストご自身がその理由です。このイエスに従う生活を始めたとき、ののしられ、迫害され、悪口を浴びせられる生活が始まるというのです。
私たちがキリストを信じるとは、一つの思想とか人生観としか思わないところがあります。しかし、信仰に生きるとは、神の言葉によって、キリストによって生きようとすることです。そのとき、「あなたがたは幸いである。」と言われるのです。
信仰生活は平穏なものではなく、現代ではむしろこの世の悪と戦うことを忘れてはなりません。12節「喜びなさい。大いに喜びなさい」という命令が続きます。救われたものは、生きる恵みの中で生かされることを喜ぶと言うのです。歴史の中で、キリスト教は苦しみ、受難、迫害を通して福音は全世界に宣べ伝えられました。今も、キリストの救いにあずかり、罪を赦され、喜びと平安を味わう者として、私たちは生きていきたいと思うのであります。