2020.4.5 宣教「神と人との平和」

2020年03月31日 15:13

聖書 マタイによる福音書27章45-56節

 45節以下には「さて、昼の12時に、全地は暗くなり、それが3時まで続いた。3時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。『エリ、エリ、レマサバクダニ』これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である」。神の子が人にあざけられ、弟子たちにも捨てられ、神にも見捨てられるというのは、何のためかというならば、私どもの罪のためです。本当は私どもが捨てられるべきものであったのです。イエスは十字架において苦しみ抜かれました。しかし、その苦しみの中にすでに神の安らぎが始まっていました。十字架の記事を書いたマタイは、その後に50節「しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた」と書きました。そして、それだけで終わらないで、51節に「そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なるものたちの体が生き返った」と書いています。十字架の死と復活とが一つになったのです。ここに私どもの恵みがあります。これがキリストの十字架の意味です。十字架のキリストによって、神と人間の間にあったその罪が赦されたのです。それは、神がその罪を問題にされないということあり、それが神と人間の間に平和があることなのです。

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