2017.11.19 宣教「神と富」
2017年11月16日 17:19
聖書 マタイによる福音書6章24節
今朝は、富を蓄えることと、神を信じることとは、どういう関係があるかということをご一緒に学んでいきたいと思います。
信仰生活をする人には、どうかすると富を持つことが悪いように思う人がありますが、福音による生活は、富とは何かを知って、それに惑わされないことであると思います。人間は、自立を願いながら、何かまたはだれか自分の信頼できる人、または主人を求めているのではないでしょうか。聖書には、人は二人の主人に仕えることができないと記しています。自分にとって本当の主人とはを考えなければなりません。右に左に、都合よいことばかり求めて、いつもふらふらしている、そういう人は生きる基準がないので、本当に主人として仕えるものがないのです。
ですから、主イエスは、神と富とどちらを主人にすることになるかを問うておられます。私たちが選び取るときに、そこからその主人に対する責任も出てきます。その主人によって生かされる道も生まれます。ここには一方を愛したら他方を憎むと書いています。「愛する」という言葉が出てきますが、愛とはその命令を聞き、その支配に従い、自分の重荷をもまかせることであって、主人によって生きることなのです。神によって生きるか、富を頼みとするか、どちらに従うか決心が必要になるのです。