2020.10.4 宣教「神なき人生」

2020年09月28日 13:27

聖書 マタイによる福音書27章45-46節

 水元教会は今年で創立26年を迎えます。かつて私たちは神なき人生を歩んでいました。しかし、ある時、キリストを信じて生きる者とされました。わたしたちはこの26年を迎えた水元教会の一員として、キリストを伝えることの使命を新たな自覚をもって歩んでいきたいと思います。

 今朝の聖書の個所は、キリストの十字架と真実の意味について、私たちがどのように生きるかが問われているところでもあります。45節以下には「さて、昼の12時に、全地は暗くなり、それが3時まで続いた。3時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。『エリ、エリ、レマ、サバクダニ』これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。」神の子が嘲られ捨てられたのは何のためかというならば、それは私たちの罪のためです。本当は私たちが捨てられるべきものであったのです。イエスは十字架において苦しみ抜かれました。しかし、その苦しみの中にすでに神の安らぎが始まっていました。50~51節「しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った」このように十字架の死と復活が一つになっています。イエス・キリストはその復活の中で勝利なさいました。そして、私たち一人一人に憩いと安らぎを与える「まことの王」として君臨してくださいました。ここに恵みがあります。私たちが生きる意味があるのです。


 

 

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