2017.6.11 宣教「神にゆだねる」
2017年06月08日 07:25
聖書 マタイによる福音書6章25-34節
6月第2日曜日は、「子どもの日・花の日」です。水元教会では、子どもたちが健やかに成長すると共に、神様に従い人に仕えて生きる者となるようにと一緒に礼拝を守っています。ります。
聖書には「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」と書かれています。「思い悩む」ということは、今日のことを思い悩むこともありますが、やはり明日がどうなるか、ということが誰にとっても大事なことです。もし、明日のことがいつでも確かなら、だれも悩むことはしません。ここで「苦労」という言葉は、悪いこと、つらいことという意味です。その日、その一日のうちにいろいろな苦労があります。人生には静かな日ばかりが続くとは限りません。つらいことは突然私たちに襲い掛かってきます。苦労に直面して、私たちは自ら立つ人生がはかないものであるかを知ります。そのようなとき、何とかそれに立ち向かいながらも、心の中は深い不安が襲ってきます。
しかし、今日とか明日とかいう人間の持つ時間は、人間のものではなくて、神のものなのです。今日を導き、明日も導かれるのは、神ご自身です。だから、「明日のことまで思い悩むな。」とイエス様は言われるのです。人間の不安も、思い悩みも、神なき人生の姿なのです。私たちに与えられているすべての生活のなかに、すべてのを知り、守られる神への信仰に生きることができるならば、その日々は新しいものとなるのです。