2017.8.20 宣教「神の国の成就」
2017年08月15日 17:59
聖書 マタイによる福音書6章9-10節
今朝のテキストは「御国が来ますように」という祈りです。主イエスは繰り返し神の国について語られました。マルコ福音書1章15節で「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」は、主イエスが宣べ伝えらえた福音の中心をなすものです。初代教会の人たちは、ユダヤ人から迫害され、ローマ帝国からも殉教させられ、最後まで「御国が来る」ことを真剣に祈りました。
私たちの現実の生活の中では、実際には「御国」はあまり問題になっていないのではないでしょうか。初代教会の時代は主イエスが間もなく再びおいでになると信じていました。それで、この祈りの言葉を、いつも繰り返していたようです。この祈りに対する熱心さがなければ、主の祈りを唱えても力を失うことになります。ですから私どもの祈りも、行動を生み出す基本的な態度でなければなりません。何を祈っても、何も変わらないというあきらめとは違います。
私たちの祈りを支えてくださる方があります。それは「聖霊」です。パウロはローマ書8章26節で「同様に”霊”も弱い私たちを助けてくださいます。私たちはどう祈るべきか知りませんが、”霊”自らが、言葉にならないうめきをもって執り成してくださるからです」と言っています。「聖霊」自らが私たちの祈りを大胆にさせてくれます。
主イエスが語られた「神の国」とはそれは神の恵みによって生きる者の生活ということです。神の国の実現の場所は、この人間の歴史だと言えます。私どもが生きているこの地上、ここに神の支配が行われなければ、人間は救われません。「御国が来ますように」は、これこそ私どもが、祈るべき祈るであることを、主イエスは私どもに先立って、この祈りが成就する道を、その地上における全生涯をもって切り開いてくださったのです。