2018.4.8 宣教「神の平安」
聖書 フィリピの信徒への手紙4章4-7節
水元教会では、2018年度の教会標語となる聖句を皆さんから応募していただきました。そして、2月4日の全体協議会で投票した結果、このフィリピの信徒への手紙4章6節の聖書の言葉が選ばれました。
4章2-3節に、フィリピの教会にあるエボディアとシンティケという二人の婦人が熱心に教会生活をしておられたわけですが、この二人に主にあって同じ思いを抱いてほしいと願っています。二人の婦人の間に一致がないということを、パウロは非常に心配をしているのです。それは二人の間に他者へに深い愛情が欠けているということを指摘していると思いますが、教会の中で共にくびきを負うという、そういう生活が大切であるということ、パウロは言っているのです。
6節に「どんなことでも思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい」このように奨めています。「主において」という言葉が先に出ていますが、キリストとの深いつながりを持っていることです。具体的にはキリストとの祈りの生活です。キリストは「思い煩うな。明日のことは明日自身が思い煩う。一日の苦労は一日で十分である」と言われました。今日とか、明日とかいう時間は、神の支配の中にあるということです。時間は神のものです。ですから、今がどんなに苦しくても、神はその時を変えてくださることを信じて祈ることです。祈りは、神の語りかけを私どもが謙遜にそれを聞くことによって神と人との対話と交わりが生まれてきます。
ですから、私どもは何事も思い煩うことをしないで、感謝をもって祈りと願いとを神様に申し上げることです。現実の生活の中で起こる悲しみ、苦しみがありますが、キリストと共に生きていく者にとって、必ず人間の知恵を持ってはかり知ることのできない神の平安が私どもに与えられて、神が私どもの心をキリストによって守ってくださるということです。深祈りの中にキリストによって神の平安にあずかることができることを信じていきたいと思います。