2020.1.26 宣教「神の御心ならば」
2020年01月21日 08:28
聖書 マタイによる福音書21章33-46節
「ある家に主人がいた」という「ある家の主人」とは神様を意味しています。その主人がぶどう園を作っています。「ぶどう園」は世界全体と理解ができます。ぶどう園の経営者は、準備万端に整えて、それを農夫たちに貸して旅に出かけました。収穫の時が来ると主人は収穫物を受け取るために僕を農夫のところへ送りました。しかし、農夫たちは、その僕を皆、殺してしまったというのです。この主人は自分が送った僕が帰って来ないので、何かおかしいことが起こっていることは分かっていました。しかし辛抱強い主人で、最後に自分の子どもを遣わしました。すると農夫たちは、あれは跡取りだから、あの子を殺してしまったら、財産は自分のものになると言って、主人の子供までも殺してしまいました。さて、ぶどう園の主人が帰って来た時に、この農夫たちはどうなるかと、主イエスはそのように問われました。41節「彼らは言った。『その悪人どもをひどい目に遭わせて殺し、ぶどう園は、季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに貸すに違いない』」。ここに出てくる農夫とはユダヤ人のことです。要するに、主イエスは、あなた方と神様との関係はこういうものですと言われたのです。43節「だから、言っておくが、神の国はあなたちから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる」。新しい異邦の民、キリストの教会に神の救いの業は委ねられていきました。