2022.8.21 宣教「神の憐れみによって」
2022年08月21日 05:36
聖書 ルカによる福音書16章19-31節
23節に「そして、金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかに見えた。」とあります。そこで金持ちは、このままでは自分の5人の兄弟も同じように陰府に堕ちてひどい目に遭うのは気の毒だから、何とかして助けてやりたいと思ったのです。金持ちはアブラハムに、ラザロを遣わして5人の兄弟に警告するようにしてくださいと頼みました。すると、アブラハムは29節「しかし、アブラハムは言った。『お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい』」と答えました。」金持ちはさらに30節「金持ちは言った。『いいえ、父アブラハムよ、もし、死んだ者の中から誰かが兄弟のところに行ってやれば、悔い改めるでしょう。』」と言いました。金持ちは会堂で祭司の話を聞いていました。しかし言葉だけでは、人は真剣に神の言葉に耳を傾けないし、信じないものなのです。だからもし、陰府からその証人がきて「本当にそうなる」と言ってくれたなら、真剣に神の言葉に耳を傾けて信じるようになるのですと願いました。なぜ金持ちは陰府にいて、ラザロは天国のアブラハムのふところへ行ったのでしょうか。ラザロも金持ちも神の憐れみによって生きていました。しかし、この金持ちは神の憐れみを必要としないほどにぜいたくな生活をしていました。自分が神の憐れみによってのみ生きていることを忘れたとき、人は神の憐れみから離れ滅びに墜ちていくことを忘れてはいけません。