2018.10.28 宣教「神の沈黙」
2018年10月24日 15:02
聖書 ヨブ記31章1-40節
ヨブ記の主題は、なぜ、正しく生きる人の苦しみを神は沈黙しているのかという問いであると言えます。私たちにとって、最も不安な時は、神が沈黙しているときです。しかし、神はいつまでも沈黙なさいません。人生のさまざまな苦難に耐え、打ち勝っていくことが出来るのは、私どもの神への信頼、神への信仰の確立によって、苦しみに勝って余りあるという経験をしていくことが出来るのです。ヨブ記において神はどのように登場するのでしょうか。ヨブ記は42章までありますが、始めの1章と2章、終わりの38章から42章でしか神は語っていません。ヨブ記の主要部分であります3章から37章までは、神は一言も語ることはありません。神の沈黙が続きます。その神の沈黙のもとで、ヨブは神を求めて泣き苦しみます。ヨブを慰めるために登場する3人の友人とエルフは、ヨブと膝を交えて人生や罪に語り、神を論じます。やがてヨブに対して、感情をむき出しにしていきますが、それはすべて神の沈黙のもとにあります。神の沈黙の中で、人は何でも言えるし、どんなことでも出来るのかもしれません。私たちがキリストから離れて生きていくとき、または神なしの世界に生きるとき、それは空しい生活です。私たちは、神を信じる者として生きていきたい。私たちは祈りを通して神との交わりができます。新約聖書コリントの信徒への手紙第一13章12節「今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきりと知られているようにはっきり知ることになる。」と記されています。今は一部しかわからなくても、かならず、はっきりと知ることになるのです。