2019.2.10 宣教「神の言葉に出会う」
2019年02月06日 18:04
聖書 マタイによる福音書15章1-20節
今日のテキストの中心的な主題は、「人が聖なる生活をするということはどういうことか」ということです。ファリサイ派の人々や律法学者は、イエスの弟子が食事の前に手を洗わなかったということで、ユダヤ教の言い伝えを破っていると問題にしました。ユダヤ教徒は宗教的な習慣から、真面目にこの言い伝えによる生活を重んじて来ました。しかし、そこで、主イエスは3節で「なぜ、あなたたちも自分の言い伝えのために、神の掟を破っているのか」とファリサイ派の人たちの言葉を返されたのです。つまり、神の御言葉の権威にもう一度従うべきだということです。
そして、ここで取り上げらたことは「供え物」についてです。十戒の「父と母とを敬え」、出エジプト記20章12節には「父または母をののしる者は死刑に処せられるべきである」とあります。それなのに、父や母が生活に困ることになっても「これは神に献げることに決めました。」と言えば与えないでよいというのです。これは、自分の都合のよいように神の言葉を無にする生活をしているではないか、とイエスは言われているのです。
10-11節に「それから、イエスは群衆を呼び寄せて言われた。『聞いて悟りなさい。口に入るものは人を汚さず、口から出て来るものが人を汚すのである』」食べ物が問題になっていますが、主イエスがここで明らかにされたことは「汚れ」は食べ物のせいではなく、あなたの心があなたを汚していると言われているのです。その汚れを何が清めるのかということは、主イエスの救いのわざのほかにないのです。神の御言葉に出会うことしかないのです。