2022.4.24 宣教「神は待っておられる」
2022年04月24日 17:35
聖書 ルカによる福音書13章1-9節
6節~7節「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。そこで、園丁に言った。『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。』」と主イエスは、このような譬え話をされました。どういうわけか、ぶどう園にいちじくの木が植えられています。ぶどうを上手に栽培するために、いちじくの木を植えるということがあったのでしょうか。あるいは特に実らないいちじくの木を置くということは、これはエルサレムの都をなぜらえてのことでしょうか。ここにあるのは皆ぶどうの木です。その中に「いちじく」の自分がぽつんと立っています。周りの人はみなどう思うでしょうか。この状況はどうも場違いなところに場違いな人がいる。ブドウの実はふさふさと美しいのですが、いちじくの木はそれとは全く違う。それもどういうわけか、三年も実を結ぶことも出来ない。そこに、ぶどう園の主人がやって来て、こんなに世話をしているのに、周りのぶどうはどんどん実を結んでいるのに、この木は何も実らないから切り倒すようにと言いました。この譬え話は私ども一人一人にしておられるのです。このいちじくの木のために、心を尽くして栽培している園丁が答えました。8節「御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやっています。」と。この園丁は誰かと言いますと主イエスご自身です。ぶどう園はこの世とするならば、いちじくの木は教会です。なかなか実を結びません。しかし、神の恵みは注がれています。