2017.7.30 宣教「神への畏敬」

2017年07月25日 18:31

聖書  出エジプト記1章15-21節

 今朝は、モーセの出生の問題について学びたいと思います。

 1章5節に「孫の数は全部で70人であった。ヨセフは既にエジプトにいた」とあります。出エジプト記は、ヤコブとイスラエルの12部族からの話がはじまります。そして、急にモーセの時代に入っていきます。なぜこの間の430年間がブランクになったのかは、いまだに分かりません。その430年後、エジプトにおけるイスラエルの人々は強大な民族として増え広がっていったことが聖書に記されています。

 そこで、エジプトのファラオの圧力が強くなっていきました。12-14節「しかし、虐待されればされるほど、彼らは増え広がった・・・・・彼らが従事した労働はいずれも過酷を極めた」。相当な肉体労働であったと思います。その後、15節「エジプト王は二人のヘブライ人の助産婦に命じた。・・・・・子供の性別を確かめ、男の子ならば殺し、女の子ならば生かしておけ」こういう命令がファラオによって下されました。

 15節の「ヘブライ人の助産婦」ということばに注目したいと思います。今までイスラエルの人々、あるいはイスラエルの民という表現でしたが、ここでヘブライ人という名前が使われるようになってきました。これは、紀元前6世紀のバビロン捕囚という時に、自分たちはヘブライ人であるというアイデンティティを認識していったのではないかと考えられます。バビロン捕囚から、イスラエルの人々は自分たちが神の民という認識を強くしていきました。

 また、今朝のテキストの中で最も注目すべきことは、17節「助産婦は神を畏れていた・・・」また21節「助産婦たちは神を畏れていた・・・」と記されていることです。「ヘブライ人の助産婦はいずれも神を畏れていた」ということが書かれています。私たちは本当に神を畏れているでしょうか。神を信仰するということは、神を畏れるということです。

 

 

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