2017.12.17 宣教「神を待ち望め」

2017年12月11日 19:33

聖書 詩編42編1-7節

 2-3節「涸れた谷に鹿が水を求めるように、神よ、わたしの魂はあなたを求める。神に命の神に、わたしの魂は渇く。いつ御前に出て、神の御顔を仰ぐことが出来るのか」と非常に切実な詩です。パレスチナ地方は、砂漠地帯で干ばつが起こると雨が何日も降らず、すべてのものが乾燥してします。暑さと砂嵐のために、木がないので木陰もない。日照りだけが続いている。そこに住んでいる鹿の姿はいつ死ぬかもわからないという姿です。どこかに水はないかと探し求めている。谷の水を求めるように、わたしの魂はあなたを求める。この詩人の心境は、この世において何もいらない。ただ、わたしが慕い求めるのは、あなたです。神様です。

 ここで詩人は「いつ御前に出て、神の御顔を仰ぐことが出来るのか」4節「昼も夜も、わたしの糧は涙ばかり、人は絶え間なく言う。お前の神はどこにいる」と。この世には悪魔が存在する。悪の霊が信仰を駄目にしようと働きかけてくる。そして詩人はどういう経験をしたかというと5節「わたしは魂を注ぎ出し、思い起こす。喜び歌い感謝をささげる声の中を祭りに集まる人の群れと共に進み、神の家に入りひれ伏したことを」「なぜうなだれるのか。わたしの魂よ。なぜうめくのか。神を待ち望め。わたしはなお、告白しよう『御顔こそ、わたしの救い』と、わたしの神よ」。詩人は苦しい経験の中で、最後の自分の安らぎはどこにあるのかということを求めている。

 大切なことは、目を上げることです。詩人は神を待ち望めと、じっと耐えながらそれを待てと言われる。信仰の歩みというのは、このキリストを仰ぎ見つつ生きることです。信仰の完成者であるキリストを信じて生きていくことです、そのキリストがこの世に来てくださる、これが待降節です、

 

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