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2018.4.22 宣教「罪を赦す権威」
聖書 マタイによる福音書9章1-8節
この聖書の箇所は多くの信仰者に愛されている物語です。中風の者が、主イエスのところに人々によって運ばれてきました。その中風の者に「あなたの罪は赦される」と主イエスが言われました。8節に「群衆はこれを見て恐ろしくなり、人間にこれほどの権威をゆだねられた神を賛美した。」と記されています。
特に「人間にこれほどの権威をゆだねられた神」とは権威のある言葉を語り、わざをしておられるのは、主イエス・キリストのことです。キリストの特性にはメシアである面と、人間としての面があります。キリストは弟子たちに「お前たちは、わたしを誰と言うか」と質問されました。ペトロは「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えました。この信仰告白は聖書の中の中心です。キリストの内に地上における人格は、人間として私たちと同じように喜び、疲れ、悲しみ、涙を流し、私たちと同じように生活をされました。「こんな大きな権威を人である主イエスにお与えになった神を賛美した」とあるように、神のわざとして、群衆は賛美したのです。ここに中風の者に罪の赦しを告げられる主イエスの姿があります。
ところで、主イエスはこの中風の人の信仰を問題にされていません。主イエスは中風の人を連れてきた人々の信仰を見ておられたのです。そして「子よ、元気を出しなさい。あなたの罪は赦される。」と言われました。人々の信仰によって、人々の愛によって担がれて運ばれてきたこの病の男に言われたのです。
「罪が赦された」とはどういうことでしょうか。キリスト教の罪の概念は神中心です。神の前に立てない自分を、厳しく検証して悔い改めていくことです。その悔い改めを通して、神からの赦しにふれていかなければ、罪から解放されていくことにはなりません。人間の罪の赦しの宣言は、神にしか出来ないからです。私たちの人間社会では他者に目を向けるものですが、問題は他者ではなくあなた自身の中にあるのです。
わたしたちもまた罪赦された恵みのうちに、キリストと共に歩む者でありたいと祈りたいのです。