2020.9.20 宣教「苦難に対する態度」

2020年09月20日 00:00

聖書  マタイによる福音書27章27-44節

今日学ぶところは、主イエスの十字架に至る道です。マタイは、主イエスがどんなに苦しい思いをして十字架を背負って歩かれたかということは書いてはいません。ただ、裁きの場からゴルゴダへの道を簡潔に書いているだけです。途中の出来事は32節「兵士たちは出て行くと、シモンという名前のキレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に担がせた」ということだけです。このキレネ人シモンは北アフリカ出身の人です。今までイエスと何の関わりのなかった者が、十字架を背負ったのです。自発性ではなく強制的に押し付けられたものでした。シモンはイエスとの出会いを与えられ、この出来事を通してキリスト者になり、彼の妻も、彼の子たち、すなわちアレクサンドロスとルフォスも共にキリスト者になったようです。一方、主イエスが十字架につけられたとき、人々は、40節「神の子なら、自分を救ってみろ」43節「今すぐ救ってもらえ。わたしは神の子だと言っていたのだから」42節「他人を救ったのに、自分は救えない・・・」と言いました。それは明らかにイエスを侮辱することでした。イエスは自分を救うことについては、無力であり続けられたのです。イエスは誰よりもあざ笑う人間の冷酷と愚かさを深く感じ取られたのです。主イエスは、その罪を担い続けて十字架にかかられたのです。

 

 

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