
2018.1.7 宣教「裁きと赦し」
2018年01月03日 08:49
聖書 マタイによる福音書7章1-5節
2018年を迎えまして、新年を心からお喜び申し上げます。
昨年1月よりマタイによる福音書1章1節から学び始めて、1年間で6章まで学んで来ました。今朝はマタイによる福音書7章1-5節までを通して、考えてみたいと思います。1節「人を裁くな、あなたがたも裁かれないためである」。誰でも人を裁くことは良くないと思っています。この世には不正や悪が満ちている。そのことで人々は苦しみます。しかし、それだからと言って、他者に対して裁きを下してはならないと、イエスは述べています。私たちは裁きを下すとき、最終的な神の裁きを待たなければなりません。
「人を裁くな」ということの後に、「あなたがたも裁かれないようにするためである」と記しています。人を裁いたら、神に裁かれる。神の裁きは厳しいものです。わたしたちが、神に裁かれるべき人間であることの恐ろしさを思っていないとするなら、神に裁かれるべき自分が、神に赦されているという赦しも考えていないことになります。3-4節「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか」。相手の目にあるものはおが屑であり、自分の目にあるものは丸太であるということは、それほどにわたしたちは自分のことは分からないということです。相手のことなら、どんなささいなことでも分かるのに、自分のことになると、どんなに大きなことでも分からないのです。ここでは自分も相手も同じではないかということではなく、自分の方がよほど悪いと言っています。まず、自分の目にある丸太に気づくことです。自分の罪を明らかにして罪を悔い改め、自分の目から丸太を取り除けと主イエスは言われるのです。