2024.5.26 宣教「起きて歩め」
2024年05月26日 07:17
聖書 ヨハネによる福音書5章1-9節
人々が祭りの中でにぎやかにしている時、遠いエルサレムへの道のりを歩き続けて来られたイエスは、ひたむきにベトサダの池に足を運ばれた。3節「この回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた。」この池の水が動く時、真っ先に飛び込んだ者はその病気を癒されるということを信じて、必死になってその水の動くのを見つめていた。イエスは、そこで38年間も病床にあるという一人の男に目をとめられた。池の水が動く時、真っ先に飛び込んで癒されること、これがこの人の悲願だった。が、いつも他の人に先を越されてしまう。イエスはこの人に「良くなりたいか」と声をかけられた。しかしこの人は「そうです。治してください」と答えることをしなかった。まったく別のことをイエスに訴えた。7節「病人は答えた。『主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。』」ここには、一人だけしか助からないと知ったとき他者の存在を無視し、自分だけの利益を求める人々がいる。この人は、自分の体が癒されることよりも、主イエスの前で、自分を取り巻く人々の、この生き方を訴えた。ところが、この男の訴えに対して主イエスは、8節「イエスは言われた。『起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい』」と言われた。イエスの前で他人の罪を指摘し、他者の罪に鋭く目をとめる男に、いつまでも古い「床」にかじりついている。あなた自身が、新しい人生に立ち上がるようにと求められたのです。