2022.3.27 宣教「身代金のキリスト」
2022年03月27日 13:01
聖書 マルコによる福音書10章35-45節
受難節ですので、今朝からキリストの受難にあった個所から聖書を学んでいきたいと思います。今朝はマルコによる福音書10章35節以下です。ゼベダイの子ヤコブとヨハネが主イエスに語りました。35節「先生、お願いすることをかなえていただきたいのですが」それは何かと問われると、37節「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人は左に座らせてください」と願いました。主イエスは38節「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲む杯を飲み、このわたしが受ける洗礼を受けることが出来るか」と、あなたは何を願っているのか、よく分かっていないようだと言われましたが、彼らは「できます」と言いました。そして40節「わたしの右や左にだれが座るかは、わたしの決めることではない。それは、定められた人々に許されるのだ」と。主イエスは神がお選びになった人々に与えられるものであると言われ、父なる神の御心を重んじられました。ここに、ゲッセマネの祈りがあります。わたしの願いではなく、父なる神の願いがなりますようにという祈りです。主イエスは、さらに43-45節で「しかし、あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」これは驚くべき言葉です。主イエスの言葉の意味は、わたしが十字架にかかることは、多くの人の身代金として自分の命を献げるため、多くの人の罪の贖いとして自分の命を与えるのであると言われたのです。