2018.9.2 宣教「重荷を負う者への平安」

2018年08月28日 06:42

聖書 マタイによる福音書11章28-30節

 「安らぎを得られる」と言う言葉の前に、イエス・キリストは3つのことを命じられました。第一は「わたしのもとに来なさい」という命令です。第二は「わたしのくびきを負いなさい」第三は「わたしに学びなさい」という命令です。イエスを通してしか、神と救いとを知ることが出来ないのであれば、イエスのもとに来ることが絶対に必要なことです。さらに「疲れた者、重荷を負う者は」「だれでも」招かれています。選ばれた人だけではなくて、すべての人が招かれているのです。その招きに応じるか、応じないかは、その責任はどう見ても当人自身です。「学びなさい」と言うことですが、何を学ぶのでしょう。それは「わたしは柔和で謙遜な者である」ことを学ぶのです。自分は賢くて、神についていまさら教えてもらう必要はないという人、キリストだとか救いだとか必要としないと思っている人には信仰はまったく縁がありません。「柔和で謙遜な者」になることを、キリストを通して学んだ人が、神を本当に受け入れて信じることが出来るのです。誰でも人生の重荷を背負いながら生きています。それが経済的な重荷であるか、人によって異なります。大切なことは他者の悲しみや不幸を負っていくことは大変なことですが、これが愛の中核です。人に手を貸すこと、とりなしのいのりをささげること、これはその人の重荷を負って行く愛のわざから生まれて来ます。キリストの招きとキリストの命令に従う人に与えられる約束は「休ませてあげよう」と言う言葉です。これは「あなた方の魂に休みが与えられる」という約束です。

 

 

 

サイト内検索

お問い合わせ先

水元教会 東京都
葛飾区水元2-5-9
125-0032
03-3607-0910