2023.2.19 宣教「銅貨二枚の献金」
2023年02月19日 16:34
聖書 ルカによる福音書20章45-47節、21章1-4節
今朝のテキストは二つに分かれた部分を一つにして読みました。だんだんと主イエスの十字架の日が近づいてきます。この主イエスの受難は大変孤独なものでした。46節で「律法学者に気をつけなさい。彼らは長い衣をまとって歩き回りたがり、また、広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に座ることを好む。そして、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。」と。では律法学者の何が問題かというと、広場で挨拶されることに満足する律法学者であり、見せかけの長い祈りです。どこで間違ったのか?それは「見せかけの」という言葉があるように、人に認めてもらうための見せかけの、自分が偉いものであるかのように錯覚することです。自分の行為、愛の行為、祈りの行為のすべてが、自分が見られること、自分が報いを受けることになっているからです。そこには神の姿は見えません。続いて21章からは、貧しいやもめの姿が出て来ました。この貧しいやもめはレプトン銅貨二枚を賽銭箱に入れました。このやもめは、生活費全部を献げたと主イエスは言われました。やもめは生活費の全部ということは、別の言葉でいうと、「いのち」と置き換えることができるかもしれません。このやもめは自分の命そのものを、神の前に差し出したのです。レプトン二枚が小さい金額であるかということでもなく、卑屈になることもなく、この女性は自由な気持ちで献げ物をしたのです。献金は自由なものです。何もとらわれてはなりません。これは神様とわたしの問題なのです。