2021.11.21 宣教「隣人になる」
2021年11月20日 05:08
聖書 ルカによる福音書10章25-37節
主イエスが語られたたとえ話の中でも、よく知られているのがこの「よきサマリア人」の話です。律法学者が何をしたら永遠の命、神の命を受け継ぐことができるかという質問をしました。主イエスが律法には何と書いてあるかと問うと、27節「心を尽くし、力を尽くし、思いを尽くし、あなたの神である主を愛しなさい。また隣人を自分のように愛しなさい」と答えました。そこで、イエスは28節「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」と。あなたの答えは正しい。あなたは良く知っている。それならばその通りに生きたらよいのだと言われたのです。しかし、律法学者は29節「では、わたしの隣人とは誰ですか」と問いました。この問いがきっかけで、このたとえ物語が始まりました。それは、ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われ、お金も衣服も取られ、裸で半殺しにされ道端に横たわっていました。最初に通りがかった祭司も、次に通りがかったレビ人もその人を見ると道の向こう側を通って過ぎ去った。しかし、三番目に通りがかったサマリア人が旅人に近寄ってきて、自分のロバに乗せ宿屋に連れて行って解放しました。非常に心のこもった愛の行為です。そして、「さて、あなたはこの三人の中で、誰が追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか」と問われました。隣人とは「ある」のではなく「なる」ものだと言われています。祭司もレビ人も、この人を助けたら「自分」がどうなるかを考え、サマリア人はこの人を助けなかったら「この人」がどうなるかを考えました。「隣人になる」とは、他者の悩みと共に悩み、隣人の重荷を共に担うことです。