2024.4.21 宣教「真実な対話を求めて」

2024年04月21日 17:44

聖書 ヨハネによる福音書4章1-15節

 6節に「そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである。」とあります。サマリア人とユダヤ人の対立は旧約聖書の列王記下17章に詳しく書かれています。主イエスは、ユダヤからサマリアへの道を歩き続けて渇き疲れておられた。弟子たちは食事を整えるために町へ出かけて行った。今、主イエスの肉体の弱さの中で飢え渇いておられる、そこにサマリアの女がやって来た。ここで敵意を持っているサマリアの女に「水を飲ませてください」と言う主イエスの言葉から対話が始まります。9節「すると、サマリヤの女は、『ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませて欲しいと頼むのですか』と言った。ユダヤ人はサマリア人とは交際しないからである。」真昼の一番暑い中、ヤコブの井戸に水を汲む桶を担ぎながらやって来たこの女性は、5人も6人も男を変えながら、結局真実の神に出会うことがなければ、癒されることのない渇きの中にいたのです。しかもその渇きを産み出す自分の罪がどうしようもなかったのだと考えるのです。私たちは、なぜ真実な対話が出来ないのでしょうか。特に今日の世界において対話が求められている時代です。人間は、お互いに相手を求め依存しなければ生きていかれないのです。しかし、理解されることを求めて対話はするかもしれないが、本当に相手を理解するための対話はしません。主イエスは「わたしにあなたの水を一杯くれないか」という所から語り始められたのです。主イエスはこの一人の魂に「生ける水」を与えようとされるのです。

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