2015.10.25 宣教「あなたの青春の日に」
2015年10月26日 07:02
聖書 コヘレトの言葉12章1-14節
<中心聖句>
12章1節
「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。」
この聖書の言葉は、若い人たちに伝える福音のメッセージの中で繰り返されて
きた言葉ではないでしょうか。
青春は再びやって来ない。その若い時に「お前の創造主に心を留めよ」と勧め
ています。なぜなら、すべての人が「老いていく」からです。
このコレヘトの書が書かれた時代背景は、紀元前3世紀の末期、ユダヤはシリア
とエジプトの間にあって、公には自分の思うことも自由に言えないという社会情勢
でした。かつてのダビデやソロモンの時代のような繁栄した面影は消え、絶望感に
満ちていました。そういう現実の中で、青春の日々を送る若者達に、やがて誰でも
必ず迎えなけれなならない「老いの姿」を述べているのです。
しかし、聖書は人間が「老いる」とは何かを問いながら、人生ははたして「喜び
はない」のかと問うています。
老いた人の美しさは、それは若い人のもつ外見的な美しさではありません。それ
は、老いた人のみが持ち得る奥ゆかしさというか、品位と威厳の備わった美しさで
す。それは長い人生の途上において勝ち得た、というよりも、知らず知らずのうち
に身についた美しさです。
老いた人の美しさが本当に美しいものであり得るためには、その人がまことの神
を信じ、まことの神との交わり、まことの神の命によって長い年月の間養われ、育
まれ成長して来た人でなければならない。なぜなら神が、キリストにおいて人間を
罪と悪から贖い給う神のみが、人間の内に本当の美しさを創造させるからです。
イザヤ65:20には「百歳で死ぬ者は若者とされる」と記されています。それは、
信仰者こそ、神の生命に生かされる者こそ、老いてなお若い人よりも美しく、永遠
の青年たりえるというのです。
老いて学ぶことは多くあります。人間存在の根底を問う神の言葉を学ぶことに命
をかけ、神との交わりである祈りを深め、神を見上げて生き続けるならば、老いて
なお、生き生きとして歩むことが出来るのでなないでしょうか。