2015.12.13 宣教「主が永遠の光となる」

2015年12月15日 10:19

聖書 イザヤ書60章19-22節

<中心聖句>
19節
 「主があなたのとこしえの光となる。」
 
 クリスマスはまさにベツレヘムでお生まれになったイエス・キリスト、そのものを学んで受け入れる。そのような時です。
 このキリストを私共が学ぶ、信じると何が起こるのかと申しますと、私どもが「変わる」のです。正確に申しますと、私どもの内側から「変えられていく」のです。
 クリスマスは降誕祭、祭りの時です。世界中の人々がクリスマスを楽しみに準備しています。しかし、どんなに見事な華やかな飾りをしても、そこでキリストを学んで、その学んだキリストの光の中で、私どもが「変えられる」という体験が起こらなければ、クリスマスの祝いは空しいものになってしまいます
 
 今朝のテキストはイザヤ書60章ですが、19節の「主があなたのとこしえの光となり」と、また20節にも「主があなたの永遠の光となりますように」という言葉が、私どもの心に刻むつけるように続いて語られています。 
 
 「光」という言葉は、聖書ではいろいろな意味を持って言いますが、その一つとして「命」を象徴している場合があります。19節には「太陽は再びあなたの昼を照らす光とならず、月の光があなたを照らすこともない」とあり「主はとこしえにあなたのひかりとなる」と記されています。ここには神の造られた光として太陽と月とが象徴的に挙げられていますが、そのほかにも神が造られたもので、私どもにとって光としているものは、地上にはたくさんあります。たとえば、ある人には仕事、財産、地位や名誉が、それこそ自分の光であって、自分自身を照らしてくれる、輝かせて誇りとさせてくれている。しかし、それはとこしえのものではなくて、いま光であり命であると思っていても、やがてそれらのものはなくなってします。そのようなものは一時的であって、やがて消えてしまうと言っているのです。
 
 さらに、「主なる神がとこしえに私どもの光となってくださる」ということの意味は、私たちの人生の中での悲しみや苦しみの日が終わるということです。20節を見ますと、「あなたの太陽は再び沈むことなく、あなたの月は欠けることがない。主があなたの永遠の光となり、あなたの嘆きの日々は終わる」と記されています。「主なる神ご自身が太陽や月に代わって私どもの光となってくださる時、その光はもはや消える去ることはない。そういう消え去ることのない光のもとにある私どもに、この世での苦しみの日は終わるのだ」というのです。
 
 造られた光は必ず消えてしまい、被造物は必ず死ぬけれども、もじ主がとこしえに光となり命となってくださることを、私たちが十分にわきまえ知るならば、それを悲しまないで受け取るはずだ、あなたの悲しみの日は終わるはずだ、というのです。そのためにイザヤは二度も繰り返して「主なる神がとこしえに光となり、命となってくださる」と記しているのです。
 
 
 
 
 

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