2015.4.5 イースター礼拝 宣教「ここに愛がある」
2015年04月07日 16:47
神が愛であるということは、わたしたちの生活が何もかも順調だと言う時のことを
聖書 ヨハネの手紙 第一 4章7-10節
<中心聖句>
10節
わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償う
いけにえとして御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。
イースターおめでとうございます。
人間が生きていくという上で、もっとも根本的な問題は、人間の罪と、人間の死です。
その罪と死に打ち勝っていく道は、キリストが十字架にかかって、我々の罪の贖いとなる
ということです。
キリストが死んで、葬られて、黄泉にくだって3日目に復活するという、このキリストの
十字架と復活というものが、実は人間の死と罪に打ち勝っていくことを、神が自らの生
涯を通して、私どもに示してくださったのです。
人間の生き方には大きく分けて二つの生き方があるのではないでしょうか。
一つはただ命があるから生きる、すなわち生理的に生きる生き方です。
もう一つの生き方は、どうしたら真実に生きられるかという自覚的な生き方です。
もし、私たちが自分のためだけに生きる生き方を繰り返していては、そこには生きる
意味が見いだせないのではないでしょうか。
しかし、真実に生きる者は、自分のためだけに生きるのではなく、絶えず隣人を意識
して他者のために何が出来るのかを省みて、とりなしの祈りをし、神からの力を与え
られて生きていきます。
人が、どんなに大きなことを計画しようとしても、そこに愛がなければ、それはむなしい
ことです。
神が愛であるということは、わたしたちの生活が何もかも順調だと言う時のことを
言っているのではありません。神が、この歴史の中で、神の子、イエス・キリストを
私たちに与えてくださったということです。
そして、このイエス・キリストを信じる者を「生きるようにしてくださった」ということです。