2015.5.17 宣教「小事に忠実な者」
2015年05月17日 16:46
聖書 マタイによる福音書25章14-30節
<中心聖句>
25章21節
「忠実な良い僕だ。よくやった。
お前は少しのものに忠実であったから、
多くにものを管理させよう。
主人と一緒に喜んでくれ。」
人は自分の出発点を、自分の意志で選ぶことは出来ません。
日本人であることも、男か女であることも、生きる時代や場所も自分で選んだわけでは
ありません。
しかし、わたしたちは与えられた出発点から、どのように生きる道を選び取るかという
ことは、与えられているのです。ですから、私たちの人生は、与えられた面と、自分で
選ぶ、自分で造り出すという、この二面を持っていると言えるのでないでしょうか。
タラントとは、もともとは重さの単位でしたが、貨幣の単位としても用いられるように
なりました。
1タラントは人が16年分働いた賃金であり、2タラントは32年分、5タラントとは32年分
にあたります。
それだけ人は皆、多くの賜物を受けて期待され、この世に遣わされているのだと聖書は
告げています。
さて、5タラントの者はさらに5タラントを儲け、2タラントの者は2タラントを儲けて帰
ってきて、主人におほめをうけました。
それが、中心聖句の21節ですが、一字一句違いない全く同じ言葉です。
イエスは決してタラントの量によって、人を区別したり、評価したりしてはいません。
1タラント預かった者は、こう言っています。
「ご主人様、あなたは撒かないところから刈り取り、散らさない所からかき集める厳しい
方だと知っていましたので、恐ろしくなり出かけて行って、あなたのタラントを土の中に
臆しておきました。ご覧ください。これがあなたのお金です。」
実は、この1タラントの僕の生き方は、当時のユダヤ教の指導者たち、律法学者たちの生
き方だったのです。彼らは心から神に信頼して生きたのではなく、ただ落ち度のないように
人から批判されないように人の評価を恐れつつ生きたのです。
自分の人生を何とかしなければいけないという生き方であり、人生の主は、まさに自分自身
であるという生き方なのです。
しかし、このタラントたとえは、あなたの人生の主は神であり、わたしたちは神の守りの
の中で、それぞれの力にふさわしく生きることを勧めています。
歴史の主は神であり、人生の主は神であり、時を支配するのも神だということを、聖書は
明確にし、その中で力いっぱい生きることを求めるのです。