2015.7.5 宣教「静まりから生まれる」
2015年07月05日 17:49
聖書 マルコによる福音書1章35~39節
<中心聖句>
1章35節
「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて
人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。」
この前の箇所を読んでみますと、イエス様が多くの病人をいやされた記事が
あります。そこで、もっと癒してほしいと願う人々が、弟子たちのもとを訪れ
ます。弟子たちはイエスに「みんなが探しています」と言った。するとイエス
は「近くのほかの町や村に行こう。そこでもわたしは宣教する。そのためにわ
たしは出て来たのである。」と答えられました。
イエス様の息もつけないような忙しさの中での様子がうかがえます。そのよ
うな中にあってイエス様は「人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた」
と書かれてあります。
一人静かに祈る。それは、自分が口を開こうとする前に語ってくださる方が
いる。誰かを助けようと動こうとする前に、私たちを癒してくださる方がいる。
誰かを愛そうとする前に、このわたしを愛してくださる方の声が聞こえるよう
になる。
静まりの中でこそ、何を持っているかよりも、生きている自分の存在自体が
大切であること、また努力した結果よりも、私たち自身の方が、はるかに尊い
存在であることがわかってきます。
一人静まり神に祈る時、自分の価値は、どれほど人の役に立つかという思い
にとらわれず、自分が何かするという思いにとらわれず、のびのびと、自分が
計画したわけでもないのに、奉仕をすることが出来るようになります。
信仰に生きる者は結果が思わしくなくても崩れることはありません。それは
「あなたは受け入れられている」と主イエスが語ってくださっているからです。
私たちは、ときには、朝早くまだ暗いうちに起きて、神に祈ることを忘れな
いようにしたいものです。