2015.8.16 宣教「自由と愛」
2015年08月17日 13:45
聖書 ガラテヤの信徒への手紙5章13~14節
<中心聖句>
5章14節
「隣人を自分のように愛しなさい。」
70年前に、日本は戦争をしない国として平和憲法を与えられました。私たちはこれからも
戦争をしない国としてこの平和憲法を守り抜くべきと思います。また、戦後与えられたものの
うち、最もすばらしいものは「自由」ではないかと思います。
それでは私たちは本当に「自由」を享受しているでしょうか。
今、こういう時代に生きる私たちが「本当の自由とは何であるか」を、今朝はガラテヤ書から
学んでいきたいと思います。人間は、神によって創造されたものとして自由を与えられています。
しかし、私たちはこの与えられた自由を行使する時、しばしば失敗します。
遊び過ぎ、食べ過ぎ、飲みすぎ、結局のところ、何もできない不自由な病人になって、与えら
れた自由を自ら手放してしまうことがあります。
13節「あなたがたは自由を得るために召し出されたのです」とはどういうことでしょうか。
宗教改革者のルターは「キリスト者の自由」という本の中で「「キリスト者は、何ものからも
自由であって、何ものにも従属しない」と言い、かつ「キリスト者は、すべてのものに奉仕する
僕であって、すべてのものに従属する」と言っています。
14節の「隣人を自分のように愛しなさい」とあります。
キリスト者は自分を犠牲にして自己を捨てて生活すべきだと考えられている場合があります。
しかし、大切なのは、すなわちこの自分という者を神の愛の対象としての自己として見ることです。
キリストに召されるということは、この自由な愛を与えられ、神と人とに、自発的に積極的に
強力に奉仕することの出来るものとなるということです。ですから、この愛は強制されて卑屈に
なって仕えるのでもなく、心の中に不平や不満をもって何かをするというのでもなく、喜びと感
謝をもって仕え、労し働いていくのです。ここに本当の自由があります。
すなわち、「自由と愛」が一つの人格の中にしっかりと統一されていくのです。