2015.8.2  宣教「麦と毒麦」

2015年08月02日 23:19

聖書 マタイによる福音書13章24-30節

<中心聖句>
 13章30節
 「刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。」
 
  教会を訪ねて一生懸命に道を求めて、やがて洗礼を受けた人が、最初の頃は教会に
 喜びを見いだし、ああ、教会は素晴らしいところと思いこんでいる。しかし、やがて
 「なんだ教会もまた世間と同じだ」と思うようになることがあります。
 
 教会の中にも、つまずかせるものがあります。どうも気になる存在、異物が気になる。
 自分を妨げているものに、いつも苛立っている自分がいる。
 しかし、主イエスは「毒麦をそのままにしておきなさい。なぜ、あなたがたはそこで
 毒麦を抜くことに夢中になるのか。それは、わたしの仕事ではないか。」と言われる
 のです。私たちに許されることは、敵を愛し、敵のために、神の恵みを祈ることです。
 
 さらに、もう一つ心に留めることがあります。それは、「待つこと」です。
 その意味は、まだ時が来ていないからということだけではなく、29節に「毒麦を集め
 ようとして、麦も一緒に抜くかもしれない」と言われるのです。毒麦ではないかもしれ
 ないもの、生かすべきものがあるかもしれないのです。また、いったい私たちの誰が
 自分がかつて毒麦であったこと、悪魔のとりこであったことを忘れて自分は毒麦では
 はないと言えるでしょうか。
 
 主イエスは、御自分を十字架につけた人々のために「彼らを赦してください」と神に
 祈られました。それは、神が悪魔に勝利する日です。そういう恵みの真理に私たちは
 信じて生きたいのです。
 
 ですから、私たちは、教会において、家庭において、職場においても苛立たないし、
 あせらないのです。望みを抱いて、ただ神の御業を信頼しながら生きていく時、教会
 の伝道の力が生まれ、奉仕の生活が生まれてくるのです。
  
                     
 
            
 
 
 
     
      
       
        
 
 
        
        
 
  
 
 
  

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