2015.8.30 宣教「神と共に坐するキリスト」
2015年08月30日 20:01
聖書 使徒言行録2章29~36節
<中心聖句>
2章34節
「主は、わたしの主にお告げになった。わたしの右の座に着け。
わたしがあなたの敵をあなたの足台とするときまで。」
今朝は、私たちが使徒信条告白をしました「全能の父なる神の右に坐したまえり」
という言葉を学んでいきたいと思います。
「主イエスはどこにいて、何をしておられるか」という問いに対して、使徒言行録
は「全能の父なる神の右に座っておられる」と言っています。
この「父なる神の右」というのは確かに明らかに一つの場所を示す言葉です。場所を
示すだけではなく、キリストの働きを表すものです。
さて、このイエスが神の右に坐しておられる姿をはっきり見定めた人物がいます。
それは、使徒言行録の7章に記されていますが、教会が生まれてまもない頃に最初の迫
害において最初の殉教者となったステファノです。ステファノは最高法院の前において
説教をしました。その後、聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立ってお
られるイエスとを見て・・・・殉教者となりました。
また、ペトロという人は、三年間もキリストのそばにおりましたが、「キリストは私
とは何の関係もない人です」と拒みました。しかし、このペトロが聖霊経験をしていった
時、彼は全くの別人となっていきました。彼は多くの人々の前で大胆にキリストの証しを
しました。
今朝、読んでいただいた使徒言行録2章はこのペトロの説教です。
主イエスが全能の父なる神の右に坐しておられるという信仰が与えられるとは、どのような
ものでしょうか。
それは、教会こそ、このキリストの支配を受け入れる集団だということ。神の前に坐しておら
られるイエスは、今も私たちのためにけて私たちの罪の執り成しを続けてくださっているとい
ことです。そして、教会の枠の中にとどまっているのではなく、皆さんの日常生活に現れて
現れて来ることを示しています。これは恵みです。
教会はここに建ちました。教会の歴史はここから始まったのです。
初代教会のキリスト者は、迫害や苦難の生活をする不安の中で、受難を通して、しかし、力に
溢れ喜びに溢れ、福音を全世界に宣べ伝えていきました。
困難であっても「神の霊の力に満ち溢れて」キリストを伝道していったのです。
この力と信仰は、今も人間の歴史の中で教会を通して、継承されているのです。