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2016.6.26 宣教「豊かに生きる」
聖書 マタイによる福音書6章22-24節
<中心聖句>
24節
「あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」
22節の「心のともし火は目である。目が澄んでいれば・・・」
光は目から入ってきます。ですから「目が澄んでいれば、あなたの全身は明るい」。
この「澄んでいる目」とは二つのものを、いっぺんに見ようとしない目だと言った人が
います。私たちにとって大切なことは、主イエスが見ておられるものを、私たちも一生
懸命に見るということです。それを何度も繰り返します。そうでないと、私たちの目は
すぐに濁ってきます。
目が澄んでいたら、体が明るいというよりは、むしろ、体のなかに光があるから、目が
澄んでいると言えるのです。そして、心だけではなく、私たちの全身が明るい、つまり
私たちの存在全部が明るくなるのです。
24節「あなたがたは、神と富とに仕えることはできない」とあります。信仰生活を
する人の中で、どうかすると、富を持つことが悪いように思う人があります。
しかし、福音による生活は、富を不必要だと言っているのではありません。また、富
という場合、名誉や社会的地位なども含めた富への執着を戒めた話です。また、私たち
は、富が自分の生活を保障してくれると思いこんでいます。
しかし、本当は人間の命は富が支えるのではなく、人間の命を造った神が支えるのです。
どんなに地上の富を積み上げても、みなその時が来れば神にお返ししなければなりま
せん。その時に備えて、自分のために富を積むのではなく「神の前に豊かになりなさい。」
と、聖書は教えています。
では、「神の前に豊かになる」とはどういうことでしょうか。それは、神の御心と自分の
気持ちがいつも通いあっているように意識しているということです。もっと具体的に言えば
いつも死を覚えて生きること、また、生きていることの不思議さを、かみしめて感謝するこ
とです。
生きていることは決して当たり前ではなく、これは神の特別な贈り物だということを確認
して生きること、これが神の前に豊かにされていくことなのです。