2016.1.3 宣教「霊に燃え、主に仕え」
2016年01月03日 21:32
聖書 ローマの信徒への手紙12章9-16節
<中心聖句>
11節
「怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。」
パウロは、この12章以下で、キリスト者の実践の基本は「愛」である、と教えています。
9節の「愛には偽りがあってはならない。悪を憎み、善から離れず」と、パウロは「愛」を教えるにあたって、まず最初に否定的、消極的な表現から始まっています。これはパウロは「愛」という美しい問題を取り上げる時にも夢のような理想主義ではなく、現実の罪と汚れに満ちた愛というものを知っている立場で、このように勧めているのです。「愛」が罪によって汚されている点は何でしょうか。それは「偽り」です。「愛には偽りがあってはならない」と言い、その愛は偽善である愛、またもう一つの愛は、愛の盲目です。愛さえあれば何の善悪の判断もしない、という考え方が現実になっていることがある。ですから「悪を憎み、善から離れず」の愛であってほしい、と言っています。
伝道するということは、他者に対する愛です。相手を本当に愛していくなら、永遠の命を相手も持つというこの喜びを与えていくということでなければ、本当の愛にはなりません。他者のために本当に祈っていく。他者のために奉仕をしていく。そういう思いを持って生きることがキリストの心、愛の中に生きていく聖なる者の交わりの姿ではないかと思います。
11節「怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。」という言葉は、聖霊に満たされて、霊に燃えていくという意味ですが、この「霊に燃えて」ということを考えますと、使徒言行録2章のペンテコステの日のことを思わずにはおれません。ペンテコステの日に集まったキリスト者たちは一人一人が聖霊を受けるまでに彼らは10日間、みんなが一つとなって祈り続けていったのです。霊に燃えるとは、同時に祈りに燃えるということであったのです。
私ども一人一人が霊に生きるいうことは、上からの力を持つということです。人間の力は十分であると見えても、人間の知恵が深いものであると見えても、神様の前にはとるに足りないのです。本当の力は聖なる方から与えられていく力です。時には弱さを覚える時もあるでしょうし、肉体の限界を感じることもあるでしょう。しかし、神様は私共に力を満たしてくださる。私共は上からの力に満ちて、神様の御用のために働くことが出来るということです。
今年も色々な行事の計画があります。どうか、それらのことを覚えていただいて、一つ一つのことが神の御旨にかなうものであるように、どうかお祈りください。