2016.1.31 宣教「天のしるし」

2016年02月01日 07:53

聖書 マタイによる福音書16章1~4節

<中心聖句>
3節
「このように空模様を見分けることは知っているのに、
              時代のしるしを見ることができない。」
 
 1節に「ファリサイ派とサドカイ派の人々が来て、イエスを試そうとして」とあります。
 この「試みる」という言葉はマタイ福音書4章1節の「悪魔に試みられるためにイエスは荒野に導かれた。」とあるように悪魔の試みを言い表した言葉を用いています。したがって、この言葉はとても重要な意味を持っていたと考えられます。今イエスを試みるのは、ユダヤの指導者です。
 多くの群衆がキリストに傾いていくことにうらやむ。ねたむ。憂いを覚えたエルサレムのサドカイ派とファリサイ派の人々は、お互いの立場の相違を超えて、キリストの伝道を監視していたのです。
 ファリサイ派は、自分は純粋な信仰に立つものとして、律法を守ることに一生懸命になった人たちです。一方のサドカイ派は祭司の流れをくむ上流階級の人でした。政治における権力に近く、特権を利用して暮らしていました。復活を信じないことでも知られていました。またファリサイ派の人々を軽視していました。その点では、ファリサイ派とサドカイ派は、はっきり立場の違う人々です。
 
 しかし、何とかしてキリストを死に追いやろうと、まことに悪意に満ちた質問を投げかけたのです。
 昔から、メシア(救世主)と名乗り出た者は、たいてい超自然的なわざを民衆に誇るのが常識でした。ですから、キリストがこうした天のしるしを見せることが出来なければ、キリストの救い主としてのメシア性を否定出来ると考えたのです。
 
 イエスが言う「ヨナのしるし」とは何でしょうか?
 それは、旧約聖書のヨナ書に書かれています。
 預言者ヨナという人が、神様からの言葉を、腐敗と荒廃した町ニネベに伝えに行くことを嫌がって逃げ回ったとき、大きな魚に飲み込まれて3日3晩、魚の腹の中で過ごします。
 ところが、その大きな魚がヨナを吐き出したところが、ニネベの町でした。神から助けられたヨナが、頑固なニネベの人々に悔い改めを訴えたところ、王様はじめすべて人々が悔い改めました。あれほど荒れた乱れた積み深い町が、ヨナの働きによって全く新しい町に変えられたのです。イエスは、それを「ヨナのしるし」と言われたのです。
 
 ニネベの町で起こったことが、キリストの時代にも現実として大衆の中で起こっていました。
 貧しい者が福音を聞く。罪深い者たちがキリストによって新しい生活を始めるようになる。そこには、神の子キリストの存在が驚異をもって人々から注目されていました。この神のしるしこそ、人々が見上げるべきことだったのです。そして、ある人々はキリストを信じて生きる喜びを知った。しかし、ある人々は、キリストに対して全く無知でありました。
 
 わたしたちはキリストを通して語りかけて下さる神からの「天のしるし」を見失ったり、忘れるようなことはあってはならないと思います。
 
 
 
 
 
 
 
 

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