2016.10.16 宣教「感謝に満ちて」
聖書 ルカによる福音書17章11-19節
<中心聖句>
17:17
「清くされたのは十人ではなかったか。
ほかの九人はどこにいるのか。」
今朝のテキストは「重い皮膚病を患っている10人の人をいやす」という記事です。
10人が「イエスさま、どうかわたしたちを憐れんでください」と叫んだ。イエスは「祭司のところへ行って、体を見せなさい」と言われた。彼らが祭司のところへ向かったが途中で清くされた。すると10人のうちの1人が、大声で神を賛美しながら戻って来た。この人はサマリア人だった。「イエスは清くされたのは10人ではなかったか。ほかの9人はどこにいるのか。この外国人のほかに神を賛美するために戻って来た人はいないのか」と言われたという話です。
サマリア人とユダヤ人の間には、歴史的、信仰的な対立抗争があり厳しい状況にありました。憎しみがお互いに差別を作っていました。そこに主イエス・キリストがお通りになりました。12節を見ますと「10人の病人が出迎え、遠くの方に立ち止ったまま」と記され、13節「声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。彼らはとにかく必死になって、治してくださいと叫びました。」すると、主イエスは、14節「祭司たちのところへ行って体を見せなさい」と言われた。この10人は命令に従いました。信じました。イエスの言葉にすべてをかけて歩き出した。
15節「その中の1人は、自分がいやさたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た」。ここで初めて1人と9人に分かれてしまいます。ここに分裂が起こりました。他の9人も癒されたことに気づいたことでしょう。しかし、9人と1人の間に違った判断がありました。「自分が清められたことを見て、大声で神をほめたたえながら帰って来た」。16節に「そしてイエスの足元にひれ伏して感謝した」。そこに起こっている感謝の出来事です。このサマリア人の男はイエスの愛のわざに神の恵みを見たのです。19節「それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」 10人が全員いやされたのですが、主の御言葉を聞き、そこから新しく生き続けていくことが出来たのは、このサマリア人一人です。私たちはすぐに感謝を忘れてしまう。神の恵みを忘れていしまう。主の十字架と復活の事実において、主の恵みを見る者として生きていきたいものである。